ベルトとチーフの色について思っている事
- 2008/05/16(金) 19:29:22
暖かくなり、ジャケットだけで過ごす時間も増え、ベルトやチーフが目立つ季節になって来ました。
今回はこの二つの色合わせについて、私が常日頃考えてる事です。
ネクタイとチーフの色は同じしない、退屈だから。
と良く言われてます。
又、ベルトと靴の色は完全に合わせる必要は無い。
とも言われてます。
その理由は、多分ワザワザ組み合わせた感じが目立ってしまうからなのではないかと思います。
赤のネクタイに赤いチーフの人も見た事があるのですが、
これは目立ちすぎで、同じ色の面積が大き過ぎてしまい、
良く見えませんでした。どこを見て良いのか分からないような、
なんだか焦点が定まらないコーディネートになってた気がします。
ベルトの色もこれが悩む所で、全く同じ色のベルトをしていると
これは意図的な感じがするのと、又同時に足とベルトの色の
相乗効果で随分と際立った感じを与えてしまう気がします。
(ジャケットをいつも閉じていれば良いのですが。)
特に明るい茶系のベルトではそうなる気がします。
主役ではないベルトと靴が目立ち過ぎてしまうのが、良くない所だと思います。
というわけで、チーフは違う色にして主役と脇役をしっかりさせる事、ベルトと靴は(茶系では)色は微妙に外すのが大切かと思います。
シャツの下に下着(Tシャツ)は着るべきなのか否か?
- 2008/04/22(火) 21:33:21
シャツの下に下着を着るべきなのか?という議論をたまに聞きます。
結論から言うと”シャツの下に下着は着るべき”と私は思ってます。
元々シャツは下着だったから、その下着の下にTシャツを着るとは
なんだ!というような話を言われた事もあります。
私はそれは単に歴史を話しているだけだと思います。
白州次郎ではないですが、ここでのPrinciple(原則)は
"下着は見せない”という事です。
下着というのは肌の上に着ているものですから(=肌着)、
シャツを直接着ていればこのシャツが下着になりますし、
Tシャツを着ていればこれが下着になります。
昔はシャツが下着だったので、肌の上に直接着た。
=従って、下着を見せない為にその上に必ずベストやジャケットを着た。
という事になります。
これが今ではシャツとパンツでオフィスでは過ごす人が増えてますから、シャツになる機会は多いと思います。
従って、シャツの下に下着を着なければならない。という事になります。
絶対にシャツにはならないという人であれば、下着は要らないでしょうけど。
日本の気候を考えると現実的ではないでしょう。
従ってどんな人でも(少なくとも夏は)下に下着を着るのが
日本での正しいマナーだと思います。
という事で、今袖なしのタンクトップで脇がタイトな下着を
物色中です。
地域が違えば装いも変わってくる、、、気がします
- 2008/04/21(月) 12:41:52
私、基本的にブリティッシュスタイルのカチッとした構築的なスーツが好きです。アメリカのボックスシルエットはあまり好きではないですし、似合いません。
ところが、アメリカに行く時にはブルックスブラザーズのようなアメリカンスタイルが良いと思ってます。(ラルフローレンでも良いですけど)
なんとなくですが、周りがアメリカンスタイルなのに自分だけ
英国スタイルだと浮く気がします。明らかに。
目立ってしまって犯罪にも巻き込まれるかも知れませんし、
米国人ともなんとなく馴染めないような気がします。
結果、良いビジネスを逃したりするかも、、、。
”郷に入っては郷に従え”と言う感じでしょうか。
今風に言えば”空気を読め”ですかね。
イタリアやスペインだとジャケットスタイルで、
イギリスではスーツで行こうと思います。
日本の中でも、業種や同僚等との調和を考えて
スタイルを選ぶの正しいんでしょうね。多分。
結局、装いは相手あってのもの、自分の趣味には
制約がかかってしまいますね。
なぜ美人ばかりが得をするのか?
- 2007/12/29(土) 22:24:48
随分昔に速読した本です。
1時間程で読み捨てたものですので内容をしっかりとは記憶してませが、今でも大事な部分はしっかり覚えてます。
ファッションというより、外見に興味がある、コンプレックスがある
人は一度目を通しておくと良いと思います。
1時間程度で読めますし、新しい洞察に出会えます。
私が感銘を受けたのは、美人の顔というのは
統計的分散の中央に過ぎないという話でしょうか。
犯罪者の写真を分析していた際に、顔の平均を出した所
美人な顔ができた所から話が始まります。
所詮、美人というのは平均値に対する認識という事が分かると
なんだか悩む事はバカバカしいと思えて来ますね。
科学的には美というのは説明出来ない事、周囲との比較において
平均である事が重要とはなんとも度量の低い話に思います。

平均である事は生物の戦略上、とても大事な事なのかも知れませんね。なんとなく一番生存率が高い気がしますから。
一方で多様性=分散というのも同時に大切で、そのおかげで
様々な外的変化の中で全滅せずに生き残る事ができるのだと思います。
ただ美人に関しては、中央・平均に向かう力があるようです。
重力みたいなものなんでしょうか。
一点、私が気になったところは、平均とは
”その人”例えば私やあなたがこれまで見てきた人の平均という
事になるのではないかという所です。(ここから先は私の考察)
なんとなくですが、ナルシストな人は自分に似た人を恋人に選ぶように思います。(完全な主観です。)
いつも自分の顔ばかり見ていると、自分の顔が平均値の構成要素の中で大きくなり自分を美しいと思うようになる?のかも?
自分が不細工と思う人は、できる限り自分の顔を見る時間を
増やしたら良いのでは?と思ってます。
これまで見てきた人、という中で侮れないのが
メディアの影響だと思います。皆が美しいと思う”平均値近くの顔”が
どんどん露出する訳です。これでは平均値がより強化されるというものです。メディアには美の設定機能がある!というのが
私の持論です。
単純に全世界の顔の平均値というのであれば
最も人口の多い中国人の顔がスタンダードになるハズです。
ですが、全ての人に会えない結果、
身近に居る友人、メディアに登場する人のが平均値の要素となります。
欧米系の広告がアジア地域にも
広く使われて美の宣教師的な役割を果たしているのだと思います。
アジア人のモデルって、欧米で露出少ないですよね。
複雑な理由があるのでしょうが、、、その理由はあまり書きたくないですね。
こうした状況で、私が希望に思っているのがアニメです。
このアニメや漫画、ゲームのキャラクターは元は浮世絵のようなモノから
由来すると思います。これが世界中で結構な人気なんです。
こうしたアニメキャラというのは日本からの美の宣教師であると
確信してます。頑張ってもらいたいです。
将来的展望
日本は少子高齢化に進んでいきます。
これまでは若い世代で人口が増えて来ており(ピラミッド型人口構成)
美人という点においても影響力が大きかったのではないかと思います。一方これからは高齢者、中年の人口が増える事で美の基準も、そちらにシフトするのではと思ってます。
又、中国やアジア地域の経済発展も目覚しく進んでおります。
彼らの姿をメディアを通して機会も昔と比べて増えて来ました。
情報伝達手段の発達もこれを後押ししているように思います。
今後は美の基準がアジアよりになるのではないかと、思ってます。
ところで、こういう平均の話ってファッションにも当てはまるものなんでしょうか?
外人で足が長過ぎるのも、なんだかバランスが悪く感じます。
腰履きジーンズというのも、足が長く見えすぎない為の
工夫と思ってます。
欧米人が足を短く見えるよう努力し、アジア人が足長を目指す、
なんだか変な構図ですね。
海外では周りの人間の体格が違うのでファッションの基準も
変わってくるように思います。
日本みたいなヒョロヒョロ細目のファッションをするのは
変に思われますね。一部のファッション業界ではそれも良いでしょうか、日常生活で浮きます。元々細いアジア人が更に細さを
強調して平均から逸脱する事になりますから。
なぜ美人ばかりが得をするのか
通販生活の薦め
- 2007/12/27(木) 22:39:51
私、通販での買い物最近ほとんどになって来ました。
アメリカ、イギリス等からの海外通販でも頻繁に購入してます。
革靴、シャツから小物まで何でも買えますね。
買い物には商品の代金だけでなく、以下の4つの費用が掛かると
言われます。
*交通費(電車賃、ガソリン代、駐車料金などの費用)
*肉体的疲労(店まで移動するの疲れます、探すにも、商品の持ち帰るにも疲労します。)
*心理的疲労(外出への気疲れなど、接客が悪かったりや情報が不足すると更に疲れますね。)
*時間(店までの往復時間、商品を探す時間など、これ社会人になって時間に余裕が無くなると更に高くつきます。)
交通費も実はよーく考えてみると結構掛かってたりします。
都内に住んでいてもそれでも500円以上は掛かる気がします。
お直し等の時は迷わず自宅配送をお願いしてます。
肉体疲労も大したもんですし、あんなゴミゴミした
都心の町を歩くのだけで結構疲れます。
心理的疲労として、最近感じるのが周囲の視線とかショップの人の
対応とかでしょうか。買い物をしに行くのにそれなりのカッコを
しないとお店の人の対応が悪いのも私としては疲労の原因ですね。
ショップの店員は ファッションという何やら宗教のようなものに
入ってますから。人は見た目で判断されるというのは仕方ない事ですが、あまりにも視野の狭い視点からは評価されたくないものです。
とは言うものの変な目では見られたくないのが、人情というものです。結果として買い物をする為の洋服を買い物に行くという愚行に繋がっていた気がします。
仕事を始めてからは買い物に使う時間もバカにできないと感じてます。2万円ぐらい払ってでも追加で休暇もらいたいぐらいですから
この貴重な休暇を買い物に当てるのは人生の損失ような気さえして来ました。楽しんで買い物できるのならそれで良いのですが、義務感で買い物をしてた時期もありましたから。
この時間を別の活動、読書、勉強、映画、ミュージカル、デート、レストラン、サーフィン、友人との交流、キャンプ、ドライブ、絵画、等に当てるとしたら、人生が大きく変わって来る気がします。
より美しい人生が歩めるとさえ思えます。
一方で通販には悪い所もあって、購入したものがイメージと違う
サイズが合わないというのは頻繁に起こります。
楽ではありますが、それなりにリスクも大きいです。
(自分の体のサイズやちょうど良いサイズに詳しくなったという効用もありましたが、、、)
それでも、自分の時間を取り返す為に通販!
面倒くさがりの言い訳なんでしょうかね?もしかして?

